公開日:2019.05.21 最終更新日:2020.03.14
地方産業デザイン開発推進事業を振り返る
1.デザインを活用した地場産業の知識集約化
昭和50年度に「地方産業デザイン開発推進事業」がスタートしました。昭和35年度に始まる日本手工業品輸出推進計画(〇手計画)、そして日本優秀デザイ ン商品輸出推進事業(〇優事業)(昭和41年度~)の系譜に連なる初めての本格 的な地方産業(伝統的手工業品等を生産する地場産業)のデザイン振興事業でした。前二者は欧米への輸出向けに地方の特産手工芸品等の発掘並びにデザイン改善を 行うものでしたが、地方産業デザイン開発推進事業では既存製品のデザイン改善の枠を越えて、デザイン開発能力を活用して地方産業の知識集約化を進めようとする事業でした。
事業実施に先立ちまとめられた通商産業省の説明資料によると、デザイン開発とは単に外観を変えることではなく国民生活にマッチした付加価値の高い商品を開発することであり、安定した企業経営を可能にすると同時に産業構造の知識集約化を進める有効な要因であると謳われています。しかし一方で、地方産業においてそのようなデザイン開発を行うには、生産・流通の両面にわたる問題がネックとなっているとされておりました。生産面の問題はデザイナーの大都市集中や デザイン費用への理解不足などであり、流通面の問題とは売れ筋追随型に流れる 産地問屋の体質などを指しています。そこで、そのようなデザイン開発をめぐっての様々な問題に対応すべく、総合的な振興事業として地方産業デザイン開発推進事業は立案されました。
2.3段階の総合的なデザイン振興事業
〇優事業までは主に伝統的手工業品等産地に数日間東京などからデザイナー等専門の指導員を派遣して製品のデザイン改善を指導する単年度の事業でしたが、地方産業デザイン開発推進事業では都道府県ごとにデザイン振興体制を整備して(第1段階)、産地を選び専門機関に委託して需要調査及びデザイン開発(パイロット デザイン)を行い(第2段階)、さらに市場流通対策を支援しようという(第3段階)、3~4年を標準タームとする事業として計画されました。第1段階では、地域において継続的にデザインの普及・啓発に取り組む自治体を中心に産学官が一体となる組織づくりが目指されました。第2段階では、長期的視点からの潜在需要の掘り起こしとパイロットデザインを通じての産地としてのデザイン開発手法の体得に重きが置かれました。第3段階では、産地企業が自ら取り組むべき課題として市場流通対策を捉え、流通専門家の助言を得ての展示会開催及びカタログ作成に取り組むことといたしました。○優事業と比べると、規模も大きく総合的内容を備えたデザイン振興事業であったと言うことができます。
この事業は通商産業省のデザイン政策の一環として構想され、事業実施は都道府県及び産地との連携のもと、(財)日本産業デザイン振興会(産デ振)に設置された地方デザイン開発センターが担当しました。昭和61年度までの12年間に28道県で実施されました。この事業を実施するにあたり、産デ振内に地方産業デザイン開発推進専門委員会が設けられ、委員長に豊口克平、委員には秋岡芳夫、 栄久庵憲司ら一線のデザイナー、高島屋、松屋など百貨店関係者8名が就任いたしました。また、体制整備を支援する顧問には、菊竹清訓、平野拓夫ら9名の専門家が委嘱されました。ただし、委員や顧問といっても事業が始まると交代で地方に赴き指導・助言を担う役回りであったことは付け加えておきます。委員会構成は生産・流通の両面にまたがる専門性をカバーするなど事業の実践的な性格を色濃く表しており、人選からは事業への意気込みも感じられるところです。
3.石川県山中地区事業の実施経過
さて、ここで事業初年度(昭和50年度)に始まる石川県山中地区プラスチック漆器産業の実施経過を紹介しておきましょう。通商産業大臣の推薦を得て、昭 和50年10月にデザイン振興体制整備並びに開発需要調査・パイロットデザインの事業がスタートいたしました。初年度は国の予算組みの関係で例外的に第1段階と第2段階が並行実施となりました。デザイン振興体制整備では、産学官からなる石川県デザイン振興会議(事務局:石川県工業試験場)を設置し討議を重ね、 翌年4月には石川県、商工会議所、関係の業界団体、金沢美術工芸大学などからなる石川県デザイン振興会が設立されるに至りました。昭和59年には(財)石川県デザインセンターに発展します。開発需要調査はデザイン系調査会社が担当し、 各種調査を経てプラスチック漆器の新製品開発の見込める開発領域(集合容器開発等)が提起されました。パイロットデザインは大手デザイン会社が受託して、開発需要調査の結果も踏まえつつ、6ヶ月で新製品の基本デザイン、試作検討を経て製品モデル製作が行われました(肉厚のプラスチック製の円筒型でカラフルな多目的容器)。昭和51年度には、パイロットデザインの成果をもとに市場流通対策に取り組まれ、産デ振から派遣される流通専門家から商品化の助言を得て、ニューファミリー向けの「Uラインシリーズ」として製品カタログの作成、発表展示会(東京、金沢等)が行われました。以上をもって地方産業デザイン開発推進事業は終了しました。尚、引き続き産地主導で商品化が図られたものの販売中止に追い込まれ、当時は芳しい評価は得られなかったと伝えられています。
4.事業の評価と先進的な試みについて
しかしながら、その後山中地区では産地企業グループによるUラインシリーズの延長上の商品開発からヒット商品が生まれ、また産地企業の間ではパイロットデザインのインパクトや商品開発プロセスを学べたとの声も少なくないことが、 後日調査では明らかになっています。一地区の評価をもって事業全体の俯瞰とまではいきませんが、「デザイン開発能力を重要な経営資源として蓄積する」という 所期のねらいは相応に達せられた部分もあったと考えられます。そして、この事 業を通じて、産地とデザイナーのビジネスとしての関係づくりの端緒が開かれた こと、中小企業施策としての地場産業デザイン高度化特定事業が立ち上がったことを考え併せると、地方産業デザイン開発推進事業はデザインの地方展開、地場 産業へのデザイン導入の契機となった意義ある事業であったと考えられます。
また、地方産業デザイン開発推進事業ではパイロットデザインの商品化にあたり、ロイヤリティの徴収の試みが検討されていたことが初期資料には記されています。実際には目論見通りにはいかなかったと伝えられますが、今日ではロイヤ リティ方式が産地企業等におけるデザイン料支払いにしばしば用いられる手法になっていることを考えるならば、先見性も内包していたと言うことができるかもしれません。地方産業デザイン開発推進事業を振り返るにあたり、末尾にはなりますが記録に残しておきたいと思います。
文責:黒田宏治
昭和50年度地方産業デザイン開発推進事業報告書 デザイン振興開発体制整備事業