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公開日:2019.10.24  最終更新日:2020.03.14

答申を読むー4

1990年代のデザイン政策

 80年代の日本は、未曾有の繁栄の時代を迎えました。終戦直後の飢餓状態から、輸出の成功をバネにした高度経済成長へ。私達が憧れていた、輝くばかりのアメリカの家庭生活にも、少し手が届くようになりました。冷蔵庫も洗濯機も自動車 もすでに所有している。郊外に家族4人で暮らす住宅も手に入れた。こうして80 年代になると、物質的な側面は既に充実し、人々の要求は「心の豊かさ」へと向かい始めます。私達らしいライフスタイルを創り上げたいとする意欲が、産業と社会を牽引する役割を果たしていきます。  
 1988年(昭和63年)、「輸出検査及びデザイン奨励審議会」は、こうした「モノから心へ」の転換を背景に、次の時代への「デザイン政策の基本的方向を明らかにすること」を目指し、「1990年代のデザイン政策」を答申しました。  
 それでは、この答申を読んでいきましょう。

1 答申の概要

 デザイン奨励審議会は、1972年(昭和47年)「1970年代デザイン政策」、1979年「今後のデザイン振興策について」と、ほぼ10年ごとに「次世代への課題」を提示し続けてきました。89年答申「1990年代のデザイン政策」もこの流 れにあります。この答申の構成は、「今日におけるデザインの概念及び意義」、「デ ザイン活動の現状」、「デザイン振興の課題」、「1990年代に向けてたデザイン政策の展開」と続き、そして最後に「当面の政策」として、国民的なデザイン運動「89 デザインイヤー」が提唱されています。デザイン概念から説き起こし、状況変化を踏まえて行政が取組むべき課題を掲げ、具体的な政策を提言するという展開も、先の2つの答申と同様です。  
 この答申の特徴は、「デザインイヤー」運動の展開にあたり、英訳も加えて格調高い小冊子にまとめられ大量に配布されたことです。「 デザインイヤー」では、自治体や企業、デザイン団体などに自主的な事業の展開を依頼しましたが、この依頼文書である「参加キット」を開けると、最初にこの答申小冊子が登場します。 この答申は、いわば公的な立場から、デザインの役割と効用を述べたテキストであった訳です。それを想定してか、答申の記述は、デザインの果たす役割についての概念的な記述や、デザインの現状について統計や概念図などを使った解説など、読み物としての体裁を整えています。  
 なお「輸出検査及びデザイン奨励審議会」の会長は、日本産業デザイン振興会会長である長村貞一さん。長村さんは、79年答申に引き続き奨励部会長も務められました。部会メンバーも前回同様にデザイナー中心に構成され、會田雄亮さん、石井幹子さん、黒木靖夫さん、白石勝彦さん、田中一光さん、豊口協さん、野口瑠璃さん、平野拓夫さん、森英恵さん、八尾武郎さんなど、様々なデザイン領域を代表する方々が幅広く参加されています。また通商産業省デザイン課の初代課長であった新井真一さんも、国際デザイン交流協会理事長として委員に加わって います。そして答申を具体的にまとめる「デザイン政策検討小委員会」には、部会から會田さん黒木さん平野さん、それに青葉益輝さん、島田一郎さん、手銭正道さんなどが参加しています。

2 デザインの意義と役割

 「 我々が通りすぎてゆく『生活シーン』のひとつひとつは、良かれ悪しかれ、いろいろな『デザイン』に満ちあふれている。我々は、このようなデザインに接したとき、無意識のうちに通りすぎることもあれば、 魅せられるときもある。また、 むせかえるような息苦しさを覚えるときもある」。  
 「むせかえるような」は、答申らしからぬ表現ですが、答申の「はしがき」はこ のように始まります。そして次のように続きます。「 『美しく』、『躍動感あふれ』、『調和のとれた』音楽が人々の『 心』を揺り動かすように、優れたデザインは人々のをなごませ、明日への希望を培う。 このようなデザインの意味が、いま人々の『心』 に宿りはじめている」。「 心の豊かさ」が求められる時代であるからこそ、デザインはさらに重要となる。人々はそのことに気づき始めている。だからデザインをより深く理解し活用することによって、新しい社会を築いていこう。この冒頭部分に、答申の全てが込められています。     
 若干補足しておきますと、「心のあり方」や「生き方」までもがデザインの対象とは見なされるようになるのはごく最近のことで、この答申では、デザインはあくまで「ものの表現上の决定を行う行為」と定義されています。では「心の豊かさ」を導くデザインは如何に実践したらよいのか。答申は、その社会的機能、つまり デザインが生活と産業を結ぶ双方向的な働きを担っていることを理解すべきと強調します。 「 デザイン活動は質的に豊かな生活を求める需要者の要求を供給者へ 伝達する役割を担うと同時に、供給者の提案を需要者に伝達する役割を担う」。こ うしたデザインの実践者であるデザイナーは、いわゆる造形家ではなく、「需要者と供給者との間のメッセージを双方向で媒介する『コミュニケーター』とも位置 づけられるものである」。

 デザイン奨励審議会は、「70年代のデザイン政策」の段階から、デザインを仲介者とみなす視点を提示してきましたが、この答申ではそれを更に発展させていきます。そして答申はこのような認識のもとに「今日におけるデザインの意義」と して、「国民生活の充実」、「需要の創造及び産業経済の活性化」、「 生活文化の創造」、「創造力の涵養」を指摘していきます。なぜ行政がデザインを重視するのかを述べた重要な部分ですが、特に「生活文化の創造」に登場する一文に興味を惹かれます。「過去我が国は、異質な『文化』の導入に弾力的であった。そして、この『西欧的』な文化が大衆消費社会の中で定着、発展することにより経済的な豊かさを享受することができた。 いま、『心』の豊かさを充足する上でも、また国際交流を進める 上でも、新たな我が国固有の文化の発展が期待されている」。そして更に、「デザ インは物的、技術的価値を人間生活上の価値に変換する役割を担っており、デザインされた『もの』は、需要者と供給者のコミュニケーションの結晶である。 それが社会に普及し、『様式』 として伝承されていくとき、我が国固有の『生活文化』 として昇華していく。歴史の中で評価される『デザイン』創作活動の厚みと、そ して、これを尊重する『社会的基盤』こそが、我が国の『文化的アイデンティティ』 発展のために必要となっている」。  
 デザイン哲学的な印象の強い一文なので、少し意訳すると、行政がデザインを振興するのは、単に経済的な競争力強化ではなく、生活と産業を結ぶデザインの役割を振興することによって、質の高い生活文化を形成することができるからだ。そしてそのことこそが、次の世界をリードする日本のアイデンティティの構築を導く。行政がデザインを振興する奥深い理由がここにあるのだよ、という示唆と理解してもよいのではないでしょうか。

3 デザイン活動の広がり

 89年答申の特徴は、上述のようなデザインの思想や理念だけでなく、具体的なデザイン活動の広がりを数字や概念図などを使いながら丁寧に説明していることです。デザイン関係者にとっては理解されている事柄ですが、これらを細かく記 述したのは、様々な人々とデザインの現状を共有したい、そしてこの答申が未来に向けてのメッセージであってほしいと考えたからなのでしょう。  
 答申は、デザイン活動の広がりについて、幾つかの視点から説明していきます。まず需要の進展、つまりデザイン市場の拡大です。ここでは通商産業省が実施している「特定サービス産業実態調査」を引用し、デザイン業の売上が順調に伸び、 しかも名目GDPの上昇率を上回ってきたことを根拠に、「1980年代に入って、揺籃期を脱し『急成長期』を迎えている」 と分析します。さらに同調査を地域別に みることで、大都市圏以外の地域が伸びていること、つまり大企業中心のデザイ ン需要から地域に根ざしたデザイン活動が展開され始めていることを指摘します。  
 次に答申は、デザイン対象領域の広がりを示していきます。商品や広告などの既存領域だけでなく、空間や環境を対象する領域へ、そしてより統合的な視点が求められる都市環境整備へ、さらにはイベントなどのコトのデザインへの拡大で す。またこうした傾向は、デザインの実践方法にも変化をもたらします。「デザインのコンセプトの提案が重要性を高めており、(これにつれて)デザイン活動の『専門化』及び『分業化』が進んでいる」。また「ものをデザインの角度から総合的に 計画していく『プロデュース』機能の重要性が増している」と指摘します。    
 若干補足しますと、答申は「もののデザイン」を中心に記述されてので、ここでの指摘も領域が広がったと説明されます。しかし夫々のデザイン領域は古くから実践されてきましました。むしろ80年代には、個別に発生し活用されてきた様々なデザインが、領域を超えてまとまり始めた時代、と理解しておくべきでしょう。 当時は「トータルデザイン」という言葉がよく使われていましたが、こうした統合的視点を確立していくことによって、デザイン業は生業的な造形家から、様々な領域のデザインを駆使してクライアントの抱える問題を解決していく「産業(ビ ジネス)」へと発展していきいます。答申に掲載された「デザインが係る領域」と「デザイン業務の業態変化」は、日本のデザイン業がの進展を伺うことができる貴重な資料ともなっています。

4 「 デザインイヤー」にむけて

 このような現状認識を踏まえ、答申は「デザイン振興の課題」を整理し、「1990年代に向けたデザイン政策の展開」を述べていきます。まず振興の課題としては、 「デザインの社会への一層の進展」、「デザインインフラの整備」、「デザインを通じての国際交流の推進」を三本の柱として提示します。
 デザイン活動は、あくまで産業活動として展開される私的活動ですので、公である行政が関与できる範囲はもともと限定されています。旗振り役・応援団となること、デザインがより広く活用される環境を整えていくこと、そして三番目は、 デザイン行政が貿易局に位置づけられていたこととも関連しますが、国の政策で ある国際社会への貢献に寄与させることです。歴代の答申は、この三本柱を繰り返し提示し、それに沿って時代の進展に応じた具体的なデザイン振興政策を提示してきました。89年答申では、「デザインインフラの整備」「グランドデザインの推進」「デザインを通じた国際交流の充実」となります。そして次世代に向けての政策を実現していく契機として、 答申は「’89デザインイヤ ー」を提唱します。
 「デザインイヤー」という言葉は、1960年に開催された「世界デザイン会議」 の際に使われた聞きますが、インダストリアルデザインの国際団体であるICSD総会大会の日本誘致を期に、デザイン奨励審議会は「1970年代のデザイン政策」の 中で、「1973年をデザインイヤー」と位置づけ、国民的な啓蒙運動展開を提唱しています。89年の経緯も同様で、名古屋市が市制100周年記念事業の一環とし して、ICSIDの総会大会を誘致したことが発端となります。この答申はこれを核として国民的な運動を展開しようと提起します。  
 「1990 年代のデザイン政策の出発点として、1990 年代を準備する年であり、 また世界デザイン会議等デザインに関する大規模な事業が企画されている年でもある『昭和 64 年度』を『デザインイヤー』とし、この期間にお いて、デザイナーのみならず、デザイン振興機関、地方自治体、経済団体、企業等のデザイン関係者がそれぞれの立場から1990年代のデザインを考える機会を設けることは、極めて時宜を得た運動ということができる 」。  
 「89デザインイヤー」の運動展開やその効果については、この「視点論点」に改めて掲載する予定ですが、いわゆる啓蒙活動ではなく、様々な機関団体が自主的に展開する様々なデザイン活動を調整することで、大きな波を作り出そうと意 図したところに運動としての新鮮さがありました。まず審議会提唱を受けて、都道府県の首長やデザイン先進企業の経営者、さらにはデザインのリーダーなどからなる「89デザインイヤーフォラム」が組織されます。通商産業省検査デザイン 行政室と日本産業デザイン振興会は事務局となり、自治体・企業・教育機関・ ジャー リズム・デザイン団体などに幅広く「参加事業」を呼びかけると同時に、「日本デザイン賞」などのシンボル的な事業を展開していきました。ボランタリーベース で事業を推進できたこと、またそれを支える調整型の支援を十分に行なえたこと によって、事業連携の相乗効果が想像以上に発揮され、この運動は全国に波及していきます。筆者青木は、「デザインイヤー運動」の事務方アンカー役を担いましたが、デザインへの熱い期待を肌で感じることができました。おそらくデザイ ンに時代の風が吹いていたのでしょう。想定をはるかに超えて401 件もの参加事業が集まり、「1990年代のデザイン政策」を準備するという答申の狙いも充分に達成されました。

5「デザインシティ」構想へ

 「 デザインイヤー」運動の広がりによって、デザインへのより一層の理解を進めるという行政目標は大きく前進できたようです。そのような意味で「1990年代のデザイン政策」は、大きな効果を発揮できましたが、これを改めて読むと、デザインを通じて地域の活性化を導こうとする政策意図が浮かびあがってきます。 しかもそれは、いわゆる近代化路線ではありません。例えば「均衡のとれた豊かな 経済社会を築いていく上で、地域の創意と工夫を基軸とした『地域の活性化』が不可欠である。単に普遍的デザインの導入による中央・地方格差の縮小のみに目を奪われることなく、地域性及び伝統性を生かした個性の発揮の視点を忘れてはならない」といった記述です。デザインのもつ創造性を発揮させることで、その地域らしいアイデンティティを構築していこうとする思想に満ちています。
 ただしここには一つのボトルネックがありした。デザイン業の動向をみると、地域における需要は拡大しており、「デザイン業の『地方立地の拡大傾向』がうかがえる」。つまり地域社会においてもデザインが活用できる下地はできつつある。 しかし地域におけるデザイン活用はまだまだ脆弱でした。そこで「(地域の)デザ イン振興機関を核として企業、経済団体、デザイナー、デザイン研究機関、行政機関、住民等がネットワークを形成し、地域の中で相互に補完しあうシステムを構築する必要がある」と指摘します。そして答申は、「地域の構成要素が『デザイン』 というコンセプトのもとに統合されたとき、個性豊かで、住み心地の良い「デ ザインシティ」が実現する」と 、行政目標として「デザインシティ」という概念を提唱します。  
 「『デザインシティ』の実現のためには、具体的には、地域を構成する産業においてデザインの導入を推進することは勿論、デザインの創作を刺激するような『文化財』の蒐集、『祭』に象徴される人々の交歓の活発化、伝統的な『工芸』の活性化等地域文化の高揚を図ることも必要である。地域を形づくる公共的な施設や商店街等のデザインを改善し、調和のとれた美しい景観を実現することも重要である。より根本的には、地域に居住する人々の『心』の中にデザイン意識が根付くことが必要である」。

 「デザインシティ」は、デザインの理想郷でしょう。デザインイヤー運動が地域への広がりを推進していたことを考えあわせると、「デザインシティー」構想は、デザイン運動の落とし所としても想定されていたようにも思われます。
 「デザインシティ」構想は、90年代に地域自治体がデザイン系の教育機関やデザインセンターを相次いで設立していく一つの契機となりました。そして21世紀になり、UNESCO「クリエイティブシティネットワーク」のデザイン領域として、 名古屋市と神戸市が認定されたことによって具体化されていきます。
 このように。次の次の時代まで視点を拡張してみると、「1990年代のデザイン政策」は、国民各層へのデザインの浸透を大きく担っただけでなく、次世代を見据えたビジョンをしっかりと提示していたようです。

文責:青木史郎