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視点・論点

公開日:2020.04.24  最終更新日:2020.04.24

デザイン行政のかたち  

 アーカイブに収録された文献資料には、通商産業省デザイン課、デザイン奨励審議会、そして日本産業デザイン振興会など、デザインの行政や振興に関わるいつかの機関団体が登場します。文献を読み解いていくためには、いわば「行政の地図」が欠かせませんので、デザイン行政の仕組みとそれを担った各機関団体の役割や機能について、活動が開始された1960年前後の状況を中心に解説しておきます。

1・通商産業省/経済産業省によるデザイン行政

 「なぜ経済産業省がデザイン行政を所管しているのですが?」。まずこの質問に答えておきましょう。  
 今日ではデザインの領域も大きく広がり、新しいモノ・コトを生み出す思考方法論とさえも理解され始めていますが、行政とデザインの出会いは、「デザインを活用すればより売れる商品ができそうだ」という経済政策からでした。
 近代国家成立以降、西欧諸国では特産品開発奨励の一環として、デザインを活用しようとする政策を展開しはじめます。我が国の場合も、明治維新以降の近代化促進の中で、伝統工芸品の輸出が奨励され、その文脈にそってデザインを振興していく体制が整えられていきました。さらに第二次世界大戦敗戦以降、敗戦国日本が生き延びる手段として、工業製品の輸出が最優先課題となりますが、その切り札としてデザインへの期待が高まります。そこで通商産業省は、産業・企業のデザインへの理解とその能力の向上をめざし、デザイン振興に総合的に取組み始めました。そして、おそらく日本が雛形になり、東アジアや東南アジアおいてもほぼ同様なデザイン振興が順次開始されていきます。  
 このように、「もののかたちをつくる」という意味でのデザインの振興は、極めて長い歴史と国際的な広がりをもっています。そして現在(2019年)でも、デザインは経済産業省の所掌とされ、これを担当する商務情報政策局の商務・サービスグループに所属するクールジャパン政策課の「所掌事務」には、その4として、「デザインに関する指導及び奨励並びにその盗用の防止に関すること」と記載されています。  
 一方、都市計画や道路計画などの社会インフラ、また生活に関わる分野でも住宅やその内装については、国土交通省の所管になります。デザインは領域横断的な知であり方法論であるはずですが、行政はどうしても縦割り的に編成されるので、産業行政としてのデザインと、建築・建設・環境領域のデザインとは、それぞれ別のものと認識さ推進されてきました。

2・デザイン行政の「かたち」

 通商産業省によるデザイン行政と振興活動は、核となる本省のデザイン担当部門、ビジョンを示していく「デザイン奨励審議会」、そして行政政策の実現を担うデザイン振興機関、この三者が夫々の役割を担いつつ推進していく「かたち」が採られていました。その「かたち」ができあがるまでの経緯を簡単に紹介していきましょう。

・通商産業省/経済産業省のデザイン担当部門

 1958年、通商産業省は通商局に「デザイン課」を設置します。当時はまだまだ官主民従の時代でしたから、中央官庁は大きな権限と権威をもっていました。「繊維課」や「自動車課」など、主要な産業ごとに設けられている「課」の一つとして、デザインが位置付けられたのです。通商産業省が行政としてデザインを取り上げた契機は、日本製品の模倣が国際的な避難を浴びたことですが、模倣防止策を超えて、デザインを積極的に活用することで、国際的に競争力が高い商品を生みだすべきだとの強い論調もあったようです。  
 設立時の「デザイン課」が取り組んだ主な政策をみると、1952年に制定された「輸出入取引法」を補う「輸出品デザイン法」を制定(1959年)し、当時輸出の花形であった繊維、陶磁器、雑貨(日用品)、機械(カメラ)について商品のデザインと商標を認定するといった規制型の政策に留まらず、それまで様々な期間団体によって取り組まれていた北米市場などへ向けた地場産品の開発支援と市場開拓事業の統括や、1957年に特許庁によって開始された「グッドデザイン商品選定制度」を移管など、啓発啓蒙型の政策も積極的に取り組んでいます。多少新味がないとは言えますが、「デザイン課」の設置そのものが、通商産業省は「デザインを重視しているぞ」という意思表明であり、このことが最大の政策であったとも言えそうです。  
 なお本項末に、デザイン課発足以降、今日までの組織の変遷の表を添付しています。これを一覧すると、デザインを行政的に捉えることの難しさが伺えるようです。

・デザイン奨励審議会

 1958年のデザイン課設立とほぼ同時に、「デザイン奨励審議会」が設置され、直ちに活動を開始します。審議会とは、省庁がが設置する諮問機関で、「行政をどうしたらよいか」との大臣からの設問に、「このような方針をもって、こうした政策を実施すべきである」と答申するという役割、行政が政策を展開するにあたってのポリシー・ビジョンを提示する役割を担います。  
 「デザイン奨励審議会」は、特許庁に56年に設置された「意匠奨励審議会」を移管し再構成したものですが、58年の設立から97年に終了するまでの約40年間に、合計6回の「答申」を行っています。その構成は、まず時代の変化と要請を解説し、デザインが必要であること、つまりデザインを行政の対象として捉えるべき理由を述べ、そして行政がデザインに取り組むにあたっての基本的な方向性と期待される政策を示唆し、最後に実施を急ぐ政策を示していきます。  
 夫々の答申を通読すると、「デザインは、経済と文化を高次に統合し、具体化を果たす」という視点が一貫して述べられており、日本のデザイン行政が、対処療法的なものでは なく、高次な理想を掲げ続けていたことがわかります。  その最初の「デザイン奨励審議会」は、1958年の「答申」として、日本貿易振興会内に『ジャパン・デザイン・ハウス」設立を提言します。まず手足となる実施機関が必要であるとの認識です。

・デザイン振興機関

 デザイン振興機関については素晴らしい成功例がありました。英国政府は終戦直前の1945年始めに、CoID (Council of Industriral Design )を設立します。戦争で疲弊した英国産業に。アメリカで成功した工業デザインを導入させることで輸出を推進しよう企画された規模の大きな振興機関です。この機関は、戦後復興のモデルとして各国から着目されていたようであり、58年の最初の審議会答申でもCoIDの活動についての詳細をかなり詳しく記載しています。この答申に基づき、日本貿易振興会(JETRO)は、デザインの優れた輸 出向け商品を紹介する大きな展示場をもった「ジャパン・デザイン・ハウス」を、1960年に当時本部が置かれていた東京駅に隣接するビルに開設します。  
 さらに「デザイン奨励審議会」は、61年におこなわれた「答申」において、「デザイン振興の中心的機関の設立」を求めます。デザイン振興事業を実施している団体間の連携が十分でないため、デザイン振興活動に全国的な盛り上がりを欠くとの認識から導かれたようですが、この答申からやや時間をおいた1969年に、総合的デザイン振興機関として、財団法人日本産業デザイン振興会が設立されます。デザイン振興会は、JETRO「ジャパン。デザイン・ハウス」の事業を継承し、通商産業省から「グッドデザイン商品選定制度」の委託を受けることで、1970年代初めには実務機関として事業を開始しました。  
 なお振興会について補足しておくと、財界やデザイン界の実力者が呼びかけ、政府の活動を担う受け皿を作ったという建前にはなっていますが、設立の準備も基金の用意も、また設立後の事業予算も、通商産業省のデザイン課が推進したものであり、このような意味で、デザイン振興会は通商産業省の設立した団体です。「我が国唯一のデザイン振興機関」としてのステータスは、十分でしたが、前述のCoID や、後年開設される韓国や台湾のデザイン振興機関に比べ、1/10以下の規模しかない小さな団体ではありました。  
 「デザイン奨励審議会」がビジョンと目標を示し、「デザイン担当課」がこれを政策に置き換える、「日本デザイン振興会」か政策実現への実務を担当する。さらに「日本インダストリアルデザイナー協会」などのデザイン団体も「デザイン担当課」の認可団体としてデザ イン振興の一翼を担う。こうして1970年代当初には、日本のデザイン行政を推進してく体制が完成し、さらに1982年に「財団法人国際デザイン交流協会」が大阪に設立され、日本のデザイン行政は国際的な視野を持つものへと成長していきます。  
 今日からみれば、官主導のいわゆる「護送船団方式」と写りますが、少なくとも産業社会を推進してく段階では、こうした「かたち」は不可欠であり、またそれ故に、成果を挙げ得たものと思われます。
文責:青木史郎

◯ 通商産業書/経済産業省 デザイン担当部門の変遷
1958年05月  通商局 デザイン課
1966年06月  貿易局 検査デザイン課
1987年06月  貿易局 検査デザイン行政室
1995年10月  産業政策局 商務流通グループ デザイン政策室
1997年10月  生活産業局 デザイン政策室
2001年01月  製造産業局 デザイン政策チーム
2003年10月  製造産業局 デザイン政策室
2004年04月  製造産業局 デザイン・人間生活システム政策室
2011年07月  商務情報政策局 生活文化創造産業課 デザイン政策室
2017年07月  商務情報政策局 クールジャパン政策課 デザイン政策室